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これまでは自分の書きたい本だけつくっていましたが…。

自主出版で2015年に発行したエッセイ本『馬馬虎虎(マーマーフーフー)』が全国の独立系書店でじわじわ人気を集めロングヒットとなった、文筆家にして写真家の檀上遼(だんじょう・りょう)さん。自身のアイデンティティを生かしながら、文筆と普段の仕事をバランスよく続けています。
台湾出身で香港籍の母と日本人の父をもち、神戸で生まれ育った檀上さんに、ご家庭のようすや普段の仕事先で会う外国人、これからやっていきたい仕事について聞いてみました。

|「台湾だけ」というのはちょっと違う


─文章を書きはじめたきっかけは?

檀上:実は、病院の課題で書きはじめたんです。東京から実家のある神戸に戻ってきて、当時うつ状態だったので長い間、家でゆっくり寝て過ごしながら心療内科に通っていました。当時、臨床心理士の方に「何かひとつ決めてやりましょう」と提案してもらい、何をやろうかと考えて、1年間の台湾留学をまとめたいな、と。それが、自分で最初に発行した『馬馬虎虎 vol.1 気づけば台湾』です。
『馬馬虎虎 vol.1』を書く前の2010年代前半、台湾といえば、「雑貨」「おいしい食べ物」「親日」とかいう、ふわっとしたイメージばっかりで。そんな日本での認知のされ方にモヤモヤしていたのも、書きはじめた理由です。自分でも、「そう思うなら、書いたら?」と思って。それ以前は文章を書いていないですね。

─写真は大学で学んだのですか?

檀上:いえ、大学では写真ではなく映像を学んでいて。自分で文章を書いて本をつくるようになったのと同時に、写真も意識的に撮るようになりました。

─お母様が台湾出身であるというご自身のアイデンティティについても、『馬馬虎虎 vol.1』では書かれていますよね。

檀上:はい。でも今は、原稿の仕事をうけたとき、ハーフであることをいちいち書かないようにしています。

─それは意図があってですか?

檀上:2021年3月に発行した『馬馬虎虎 vol.2 タイ・ラオス紀行』を書いた理由にも繋がるんですが、「台湾の(ことが専門の)人」と思われるのもいやだな、と。自分はたまたま母親のルーツという縁があったから台湾に行って台湾のことを書いたし、もちろん台湾も好きなんだけど、「台湾のことがとにかく好きでしょうがないんだ」という人たちの集まりに行くと、居心地の悪さを感じてしまうことも実はあって。

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檀上さんが手がけた『馬馬虎虎』vol.1とvol.2、共著となった台湾旅行記『声はどこから』は、いずれもオンラインショップでも販売。https://ryodanjyo.thebase.in/

─檀上さんにとっては、台湾だけが特別なわけではないということかもしれないですね。

檀上:僕が書いた本をしっかり読んで面白かったと言ってくれる人は、中国、香港、台湾のどこかというよりも、中華圏全体を好きな人が多いかもしれないですね。台湾が大好きで台湾に通い詰めてる方もいらっしゃると思いますが、どちらかといえば僕は、もっといろんなところに行きたい。自分が文筆でこれから食えるのかどうか別にしても、ずっと台湾のことだけを書き続けるモチベーションはないです。
というのも、僕の家庭は、香港と台湾と中国がごちゃまぜであるような感じだったので。母は大学生のときに一家で台湾から香港に移民して、母だけがその後日本に来て、母以外の家族は香港に残った者もいれば、さらにアメリカ合衆国へ移民した者もいます。父は日本人ですが中国関係の仕事をしているので、父も父で中国とつきあいがある。家には昔から中国語で電話がかかってきていましたね。母は、母の兄姉と電話で話すとき、普通話(標準語)と台湾語と広東語のちゃんぽんになります。兄姉はみんな普通話も台湾語も広東語もできるから。僕だけ留学するまでまったく外国語を話せませんでしたが、もともと家庭がそういう状況だったので「台湾だけ」というのはちょっと違うなと思っています。

|神戸にいながら、ちょいちょい海外


─神戸で育って、大学と仕事で10年間ぐらい東京に住み、そして神戸に戻ってきて。文筆活動を続けるうえで、東京を知っていたら東京のほうが魅力的に感じませんか?

檀上:ゆくゆくは須磨のこの家に住もうかなと思っているんですよ。亡くなった祖父の家で、今住んでいる家からは自転車で10分ほどです。よくここに来てじっくり本を読んだりしています。東京は、どんどん遠くなっていますね……。「東京でしか見れないものを見たい」という願望が僕はあまりないので、戻りたいとはそんなに思わないです。台湾カルチャー好きな人たちから「台湾でどこに行ったらいいですか?」とトレンドを聞かれることも多かったんですが、実はおすすめできる店をほとんど知らない。そういう情報を追っておきたいという気持ちもあまりなくて。ネットは確かに必要ですが、わりとどこにでも住めるというか。カルチャーというよりも、そこに住む人々の暮らしだったり、生活に結びついたことの方に関心があるんだと思います。

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─では、これからもずっと神戸に住むことになりそうですね。

檀上:神戸にいながら、ちょいちょい海外に行って楽しい妄想ができたらと思っていました。実際どうかは別にして、海外旅行に行ったら「ここに住んでみたらどうなるか」という妄想をするのが好きだったんです。今は神戸で落ちついちゃっていますね。でも、昔は神戸があまり好きじゃなかったんですよ。なんでみんな、そんなに神戸好きなんやろう、と思ってました。今は好きですけどね。

|神戸の身近な外国人労働者の普段の顔を知るために


─今書きたいものや、取り組んでいることはありますか?

檀上:2つあって、まずひとつめは、2020年の1月に中国の大連とハルピンに行ったので、その旅行記を書こうと思っています。もうひとつは、普段、僕は物流倉庫で働いているのですが、そこで一緒に働いているベトナムや外国から来た人に話を聞いて、それを書きたいと思っています。ただ日本に住んでいる移民を描きたい、というわけでもなく、普段の職場での雑談から見えてきたその人の、ひととなり。それを聞かせてもらって書きたいと思っていますが、まだ具体的にテーマは見えていません。

─日本の今の移民を追った、ジャーナリズム的な内容になりそうですか?

檀上:ちょっと考えているところですね。ジャーナリスティックな関心もなくはないけれど、それよりも「近所のコンビニで働いているあの外国人の店員さんは、普段どんなことを考えているのか」といったことの方が気になるというか。毎日のように顔を合わせていても全然、彼ら彼女らのことを知らないですよね。僕の職場にも外国人の方は多いですが、お互いに肉体労働をしているとそれだけでいっぱいいっぱいになって、お互いのことをなかなか知れないという状況があります。僕は単純に、彼ら彼女らのことを知りたいですね。例えば、今の職場には女性の外国人労働者も多いのですが、彼女たちは日本で子育てをしています。彼女たちに、僕の母親は台湾出身の外国人だという話をしたら、子育てでこういうことに困っている、と打ち明けてくれる場合もあるんです。そういった身近に生活している外国人のことをもっと知りたいと思っています。

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─そして、ミックスの檀上さんだから書けることを残しておきたいと。

檀上:そうですね。ただ、僕が書きたいという欲があって話を聞くわけだから、インタビューすることの暴力性もあります。そのジレンマも感じています。

─物流倉庫での普段の仕事を続けつつ、今後、文筆の仕事を増やしたいという気持ちはありますか?

檀上:悩んでいますね。今の労働があるから、自分の書きたいものを書いたり、本をつくったりできるというのもある。肉体労働は割り切って働けるし、肉体は疲れていてもメンタルはそこまでやられない。なので、夜の時間を使って文筆をがんばれる。これまではそうやって自分の書きたい本だけつくっていましたが、ずっとこれでいくのもなあ……と。

─先日、神戸市の食都神戸のサイト「KOBE URBAN FARMING」でレポート記事を書かれてましたが、ああいった原稿も書いていけたらという感じでしょうか。

檀上:そうですね。最近は、依頼元がある仕事もやってみようと思っています。やりたくなかったら、このインタビューも受けていないので。

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https://kobeurbanfarming.jp/essay/2992

─「KOBE URBAN FARMING」の記事では写真も担当されていましたが、写真も撮れるというのは強みですね。

檀上:実は、最近あまり撮っていないし、写真をやめて肩書きからも消そうかなと考えていたんです。そうしたら、友達や周りから、止められました……(笑)。

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檀上遼

1983年生まれ。兵庫県神戸市出身。東京造形大学デザイン学科映画専攻卒業。日本人の父と台湾生まれ香港籍の母とのハーフ。文筆業と写真を中心に活動中。https://ryodanjyo.com/


Kobe Creators Noteでは神戸市内で活躍するクリエイターの情報などを発信しています。


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