ラフな線の裏にある制作過程をちらっと公開。ーイラストレーター 遠山敦
イラストレーターとして活躍する遠山敦さんは、全国各地で展覧会やワークショップを開きながら、書籍やポスター、CDジャケットなど、その作品は幅広く展開されています。そして、2020年からは垂水のまちで教室「りんごアートクラブ」を開校。遠山さんの活動と作品の魅力に迫ります。
垂水に開いた「りんごアートクラブ」
ーまずは、垂水で「りんごアートクラブ」を開校された経緯を教えてください。
遠山:いろんなところでワークショップに呼ばれてきたけど、自分の場所というのは持ったことがなくて、2019年くらいからそのことを考えはじめたんです。家の近所で物件を見つけて、契約したのが2020年の3月末頃。ちょうどコロナのタイミングでさんざん悩んだけど、大家さんにも言っちゃったしなあと思いながら(笑)。結果的には、緊急事態宣言の期間に、壁を塗ったりとかの内装を家族でやることができていい時間になりました。
ーりんごアートクラブは、子どもを対象にした教室ですね。
遠山:そう、子ども限定。イラストレーターとしてやってますけど、自分では絵の勉強をしたことがないし、美術の教科書的なことは教えられないので、教えるというよりはこの場所を提供して、楽しんで帰ってもらえたらいいなくらいのもの。これまでもいろんなワークショップをやってきたので、そういう道具も揃っているので。今は、1クラス2~5人で、一応、6クラスうまってます。
路面に面したりんごアートクラブは、前は学習塾だったという場所。
―遠山さんの中にあるワークショップの経験値が活かされている。
遠山:なんだけど、大変ですよ。教室をやってる時間は、脳みそがぐわっと回転する。もちろん、面白いこともいろいろあって、たとえば、子どもが絵を描くときに牛乳パックをパレット代わりにしてるんですよ。パレットだと洗うのが大変だけど、牛乳パックだったら捨てればいいから。けど、このパレットに使った後の牛乳パックがいいなと思って、いっぱい取ってあるんです。
―たしかにいい感じ。絵ですね。
遠山:でしょ。額に入れて飾られてたりしたら作品ぽいもんね。だけど、僕がこれを取っておいてることを子どもが知ってしまったから、子どもたちが意識しはじめてしまって(笑)。
額に入れてみた牛乳パックのパレット。額は、近所に住むおじさんが「りんごアートクラブ」に寄贈してくれたものだそう。
ときにはラフを真似することも
―牛乳パックのパレットのエピソードでもそうですけど、意識と無意識のあいだの表現みたいなこと、遠山さんの絵にも通じる話だなと思います。
遠山:どうだろう。ぼくは、がんばらないようにがんばるから(笑)。
―禅問答みたいになってます(笑)。
遠山:いちばん難しい(笑)。描きこんだほうがたぶん楽なんだろうけどね。電話で話しながら描いた絵がよかったり、打ち合わせの現場でささっと描いたラフがよくて、その適当に描いた絵を一生懸命、自分で真似してもう一度描いて本番の絵に使ったり。何やってんだろうと思いながら。
―鳥の絵をよく描くと紹介されることも多いですよね。
遠山:それも好きというよりは、自分の描くものなんてそんなに次々と湧いてくるわけじゃないから。鳥を描くにしても、地球といっしょに描くか、船や海と描くかで意味が変わってくるじゃない? 音楽でいえば、レゲエバージョンがあったり、弾き語りがあったり…ってそんな感じ。
2015年、H TOKYOでの展覧会風景。遠山作品における鳥モチーフの一例。このときは作品がハンカチに。
―気負いすぎないラフさというのは。やっぱり遠山さんならでは。
遠山:感情のこもったものがあまり好きじゃないんですよね。音楽でもそうなんだけど、思いをこめて歌います、みたいなのが苦手で。まあ、思いや感情がないほうが窓口は広がるという面はあると思う。いいわるいは別にしてね。
―イラストレーターという職業の性格を思えば、そうした姿勢が自然かもしれません。
遠山:アーティストとは違うから。アーティストであれば、もっと自分の感情をこめる方がいいのかもしれないけど。やっぱり僕は、自分のことはイラストレーターだと思ってます。
りんごアートクラブのウインドウに見えているのは、子どもたちや他のアーティストの作品ばかり。
偶然性の線を求めて
―デザイン会社で働いてるときにイラストを描きはじめたそうですね。
遠山:20代のなかばまで名古屋に住んでいて、シルクスクリーンの会社で働きながら絵を描くようになって、東京の出版社に自分の絵の営業に行ったりもしてました。で、もう東京に出たほうが早いなと思って、20代の後半で東京へ。
―東京時代の仕事として、フィッシュマンズのベスト盤のアートワークや、雑誌『Casa BRUTUS』なども手がけられました。
遠山:フィッシュマンズの仕事は、デザイナーからオレンジと青の丸を描いてほしいという希望は聞いていて、ワンストロークでいくつも丸を描いてたら、たまたまうまくいった(笑)。偶然に描けた感じなので、あまり人には言わないですね。あんな風にって言われてもできないから。
―遠山さんの絵には線の印象が強くあります。
遠山:もともと線で描きはじめたかもしれない。そのうち、絵の具を使ってペインティングっぽい作品もつくるようになったけど、絵の具って後片付けとかも面倒くさいじゃない(笑)。
2008年、2011年の仕事。ラフな雰囲気を残しつつ、決めるところはびしっと。
―そんな理由ですか(笑)。仕事ではクライアントの希望や依頼はかなり意識しますか。
遠山:そこから考えていける面白さがあるよね。そのお題に対して、じゃあ、どう見せようかって。
―決して本番一発の絵ではないですよね。下描きはどれくらい描くのでしょう。
遠山:数はいっぱい描きますよ。描きながら考えて。見ますか?
こうやって描かれた紙が山ほどありました。
―ほんとにたくさん何度も描くんですね!
遠山:真面目なところを見せちゃったな(笑)。仕事だと最後はデータで仕上げることが多いので、部分ごとによく描けたのを持ってきて、組み合わせたりします。1枚絵として描けたらそれがいいけど、よりよいものになるなら違う絵を重ねていってもいいと思っている。デジタルとアナログのこだわりもまったくないから、最終的に印刷物になる仕事なんだったら、無理に1枚絵として描く必要はない。また音楽のたとえで言わせてもらうと、いろんなテイクを細かくつくって、それを合わせるでしょ。そんな感じ。
―顔の目の部分だけとか、パーツごとに何度も何度も描いて、いい線を探している感じが伺えます。ごく普通のコピー紙に描くんですね。
遠山:それは、安くていっぱい使えるから。もともとシルクスクリーンの会社で働いてたのもあって、自分のなかでは物事を版で見るのが好きなんです。これは青色の版、黒の版って分けて、その重なり具合で遊んでみたり。版分けは得意です、自分で言うけど(笑)。
―遠山さんのイラストやデザインされたもの、2色展開も多いなと感じていましたけど、シルクスクリーンの仕事がベースにあるからなんですね。まさに印刷物としてのイラスト。
遠山:そこ! 仕事待ってますよ(笑)。
この版の重なりを見てくれ、と遠山さん。
―最後に、東京から神戸へ移ってこられた理由を教えてください。
遠山:東京から愛知に移って、そこで5年くらい住んで、神戸は2012年からかな。家族の縁があったりとか、友達もいるから、昔からよく神戸にはよく来てたんです。そもそも自分の初個展だって、神戸の「SPACEMOTH」だからね。まだ仕事をはじめたばかりの頃。まあ、自分の実家は岐阜だし、東京も大好きだから、場所へのこだわりはあまりないかな。子育てというか、子どもには今住んでるところがちょうどいいなと思ってるけど。
IDEE SHOPの企画でCafe & Meal MUJI新宿で開かれた個展。
IDEE SHOPの企画でCafe & Meal MUJI新宿で開かれた個展。2020年夏に開いた神戸アートビレッジセンター(KAVC)での個展。外の窓ガラスにみんなで絵を描くワークショップはKAVCで毎年夏の恒例企画となっている。
―神戸暮らしがまだまだ続きそうですね。
遠山:家のすぐそばにこの場所(りんごアートクラブ)を構えてしまったので、ほぼほぼ垂水にいて、今はあまりにも毎日の運動量が少ない(笑)。ここは仕事場としても使ってるんだけど、せっかくなので週末とかでもこれから何か企画していけたらなと思っています。
ボードゲームの会を開いていたこともあって、後ろの棚にボードゲームがぎっしり。